【日記】テプラを買ってきました。

テプラを買ってきました。

店にて

ペンのインクを切らしてしまったので、 今日は近所の文房具屋さんを訪れました。 文房具屋さんは、家から10分ほどのところ、 小学校の南門を出たちょうど目の前にあります。 そのお店は私が生まれるよりずっと前からあるらしく、 外壁の塗装はところどころ剥げ、 申し訳無さそうに植えられた低木は 数年ほど放置されているのか 自由に枝を伸ばしています。 ガラス張りの引き戸にはコクヨのポスターやら、 「ジャンプ入荷しています」の張り紙やらが貼ってあって、 よく言えば味のある、 悪く言えば じめじめとした雰囲気のお店です。

私は張り紙の間から店の中をそっと覗き込み、 店主がレジに座ってぼーっとしているのを確認しました。 店主のおじいさんが座っていればその日はやっている、 座っていなければお休みと、とてもわかり易いシステムです。 ガラス戸を引き、そそくさと筆記具の棚からブルーブラックのインクを手に取ります。 そのまま、物音を立てぬよう慎重に、私は店内を物色しつつレジに向かいました。

最も注意深く観察しなくてはならないのは、窓際の棚です。 ここには、このお店基準の "新製品" や 流行りの品が不格好に飾り付けられディスプレイされています。 その中に、ひときわスタイリッシュな機械がちょこんと置かれているのが目に入りました。 添えられたポップには

「テプラ最新モデル スマホ連携でRaku♩Raku♩」

と書かれています。 実際、この商品だけは周囲に置かれた ―― 日韓ワールドカップの記念ボールペンやら、なめこ栽培キットのクリスタルやらといった ―― 商品と違って日焼けもしていなければホコリも被っていませんから、 本当にかなり新しいものなのでしょう。

私は急にこのテプラが欲しくなりました。 テプラに思い入れがあるわけではありませんが、 ふと、これこそが私の生活に最も必要なものなのではないか、 そういう考えがどこからともなく沸き起こりました。 一度こうなってしまえば、 私はテプラを買うまで一生この思念に追い立てられるに違いありません。 身体の芯がかッとなり、脇の下をねばついた汗が流れ、どく、どく、とおのれの全身が脈打っています。 それらすべての "身体反応" を、どうしても手に入れたいという衝動がまとめ上げていました。

そうして気づけば私はテプラの箱とともに店の前に立っていました。 当初の目的であったインクは、どうやらテプラの棚に置いてきてしまったようで、 持っていません。 しかし、どうしてか私はもう一度店に戻る気になれず、 インクはまた後日にしようと思って、とぼとぼ家に帰りました。

家に帰ってきてから数時間の間、 私は買ってきたテプラをどうしようか悩んでいました。 実のところ、テプラをいますぐ使いたい事情はありませんし、 どういったことに使えばよいのかパッと思い浮かべることも難しいです。 そもそもどういったところで、 テプラは使われているのでしょうか。 私は、いつからテプラというものを知っているのでしょうか。

私がこの人生に於いてテプラを始めてみたのは、保育園で、だと思います。 正確に述べれば、 私の記憶の最も古い部分に刻まれているテプラのラベルは、 保育園の下駄箱にありました。 私が入園したのは、そう、パンダ組さんでしたから、 年中さんの頃でしょう。 当時の私にとって、 テプラのラベルは、いえ、寧ろ、下駄箱という存在は 驚くべきものとして受け入れられています。 それは、端的に言って、私の居場所でした。

例えば、狭い玄関で、 自分より後から帰ってくる兄弟たちのために、 また、翌朝自分たちより先に出ていくオヤたちのために、 靴を重ねて端っこに避けておく、 というような経験とは無縁だということです。 私は下駄箱を気に入りました。 同時に下駄箱の木枠に貼り付けられた、 私の名が印字されたテプラのことも大好きでした。 毎朝そこに靴を入れることは、 いつだって爆発的な感動を伴っていましたし、 郵便やさんごっこのとき下駄箱がちょうど私宛のポストの役割を果たしていたあの光景はずっと私の心に残っています。

そうです思い出してきました。 幼い頃 ―― きっと小学生くらいの頃です ―― 私の持ち物にはすべてテプラで名前が付けられていました。 お道具箱、連絡帳、下敷き、筆箱、そういった様々の学用品は、 買ってきたその瞬間にはどこかよそよそしい顔をして私の机の上 ―― 記憶が正しければ、そこにもテプラが貼ってありました!内容は覚えてないけれど……。―― に収まっていましたが、 私のオヤが私の名を印字したテプラを貼り付けてからは、 その瞬間から!、自由を得たかのように、生き生きと私のものであったような気がします。

そう思ったら、いても立ってもいられなくなってきました。 私はすぐさま自分のPCや、フマトンや、クリアファイルなどを取り出し、 どこにテプラを貼り付けようか、思案し始めました。

PCなら左上、斜めに貼り付けよう。

フマトンはちょっと幅を狭くして、枠を囲う様に貼ろう。

クリアファイルは"セオリー"どおり、左下に一文字だろうか。

そうして、計画が完璧であることを確認して、 私はフマトンにテプラ専用のアプリをダウンロード、早速ラベルを印刷し始めました。 保育園の先生は、パソコンとテプラをケーブルで繋いで印刷していた気がしますから、 随分と技術も進歩したものだと思います。 私はジジジっと出てきたラベルを取り上げ、すぐさまPCに貼り付けました。 それは思っていたよりも数段不格好でしたが、 一度こういうものだと思うと途端に先程までのワクワクが戻ってきます。 私は計画を超えてペタペタ、ペタペタ、ラベルをありとあらゆるものに貼り付けました。

数時間の作業を経て、身の回りのものでラベルの貼られていないものはない、という状態になりました。 私は周囲を見回してみます。 どこを見ても、目に映るすべてのものには私の名前が張り付いています。 私は、一瞬、これで満足だと思いました。 しかし、次の瞬間には名状しがたき違和を感じていたのです。 私はそれを振り払おうとしましたが、そうはいきませんでした。 気づいてしまった不協和から目を逸らし、満足だと言っていられるほど私は純粋でもなくなっていたようです。 試しにPCを手に取ってみました。 するとどうでしょうか、

  • 先ず、ラベルの色が変だ
  • フォントも全然キマっていない
  • ラベルの質感もかなり安っぽい感じがする

他にも様々な点に目が行ってしまいます。 いえ、実のところ、これらの文句は、 私のもった直感をどうにかラベルの特性に還元しようとして出てきたものに過ぎないのです。 本当に感じていたのは ―― ここで初めて告白するのですが ―― どうも浮ついてしまっている、 という感触です。 どうにも安定していないというか、 真実を正しく語っていないというか、 とにかくそういう感じがしたのです。 私は、私の感覚をこれ以上説明することはできないでしょう。

私は、私の貼り付けたラベルたちのことがだんだん気に食わなくなってきて、 そして、次の1時間ですべてを剥がしてしまいました。 半分くらいはきれいに剥がすことができず、 ラベルの跡がついてしまったり、 元の塗装が剥げてしまったりと、散々な結果です。 私は、自分の衝動に任せてとんでもないことをしてしまったと後悔しています。 しかし、既に起こってしまったことはどうしようもありませんから、 せめてその原因だけでも闇に葬り去ってやろうと思いました。

私は戸棚の中から黒いゴミ袋を取り出して、テプラも、 その箱も説明書も、全部その袋の中に放り込んでしまって、 ぎゅっと口を縛りました。 そして家を飛び出し、ずんずん歩いて文房具屋さんの方へ。 私は腹いせに文房具屋さんの裏のゴミ置き場にそれを置いてきたのでした。