日記 : 日常で感知する揺れ。の解明をします。

日常で感知する揺れ。の解明をします。

生活していると揺れを感じることがあります。 それが地震であるか、建設中アパートの生命の息吹であるか、それとも物理的世界には存在しない、私の内的な現象であるかは本質的ではありません。いずれにせよ、私にとっての現実なので。

揺れとは多くの場合、繰り返される周期的な運動を指すと思いますが、今日は繰り返しが予期されたタイミングでそれを揺れと判定します。 例えば。前方のみ電気の消えた昼食後の教室、スクリーン前最前列、ちょっとした気の緩みでこめかみから意識が抜けていく瞬間の、机を叩き割るダイナミック頷きなど!。

今日特に考えたいのは、道を歩いているときの沈み込みについてです。 いま、私には2本の足と呼ばれる長い構造物が生えていて、それらを交互に、適切なタイミングで前後運動と上下運動を組み合わせることによって歩くものとします。実際にどのような挙動をしているかをテキストで表現するのは困難なので、受信者の皆さまが各々世界事典などで調べていただけると幸いです。

さて、以上で私がいかなる方法で歩いているかが了解せられたものとします。ここで重要なのは私が前足と呼ばれる、もう2本余分に生えている足を用いずに歩いていることではなく、ただ2本の足で歩いていることから、一方の足を進める際にはもう一方の足が、支えの殆どを担っているということです。

揺れ(沈み込み)はここに生じます。

すなわち、一方の足を進めるためにもう一方の足に肉体を預け、ゆっくりと重心を移動し始めた瞬間!。 地面に接地している足が沈み込みました。このことを解明します。

第一に考えられるのは足が地面にめり込んだことです。実際、例えばよくぬかるんだ道であれば、或いはそこに落とし穴があれば(局所的に)沈み込みを感じることができます。しかしながら、少なくとも私の網膜が認識した限りではそのような状態ではありませんでした。かなしいたけ!だ!。

第二に考えられるのは私の足が数cm分、地面全体を押してしまったということです。すなわち、地球をちょっとだけずらしてしまった。恐らく私の足踏みをうまく相殺する足踏みが偶然存在しなかったのでしょう。ただそうすると日常的にめり出のようなものを感じていなければ対象性が悪くなってしまいますし、私の質量が地球と勝負できる程度には大きくないといけなくなります。 そういう意味で、あまり現実的ではないでしょう。

第三に、例えば、クッション部分が消滅し、次の瞬間帰ってきた、というのはどうでしょうか。 や、しかしゆっくり考えてみればわかることですが、靴のクッション部分はそう簡単には外れない(だからこそ、ボロボロの靴の、象徴的な状態として多くの場合に言及されているのであって!)うえ、外れたとしたらそう簡単にはくっつかない(一般には何らかの接着剤のようなものが必要!)はずです。

では、逆に、靴に付随している部分ではなく、歩きに対して常にクッションが生じているとしたらどうでしょうか。 具体的には、私の靴底部が地面に触れるその瞬間、にゃんこ*1が滑り込んできていつもクッションになっているとしたら!。 いつも私はにゃんこの背中を靴底で撫でているけれども、沈み込みの1回前、誤って尻尾を踏んづけてしまったとしたら?。にゃんこはそれに怒って、次の一回だけ私に去りを与えたのかもしれません。

更に、どうだ、実は世界はもともとずっと揺れているんじゃないですか?。にゃんこは、その揺れを緩和し、あたかも揺れていないかの如き世界を私に提供するエージェントなのではないですか?。例えば、椅子から立ち上がったときに感じる揺れは、空気や地面との新たな接地が生じたところに、何らかの理由でにゃんこが滑り込まなかったために生じているし、例えば枕に頭を沈めたときに感じる揺れは、やはり枕との間ににゃんこが不足しているのです。

高熱などを出すと、にゃんこは暑いのを嫌がって、私の周りから離れていくため、足元がおぼつかず、また揺れを感じると考えられます。

なにか想定外のことが起こったときに生じる揺れも、にゃんこの不足によります。どうしてにゃんこがいなくなってしまうのかは、わからないけど。

私の周りを取り囲んでいるにゃんこ。

にゃんこ。

*1:ここでのにゃんことは、条件を満たす機能を有するものにつけられたメタ構文変数として理解することができ、逆に、これをもってこの文脈でのにゃんこが蹴って遺志ます。