日記 : 夜の道を歩くことについて

夜の道を歩くことについて。

私は夜の道を歩くことが多いです。 ここで、夜とは、十分日が沈んだ状態のことをいいます。 この十分とはなんらかの客観的な指標によって判断される事項ではなく、 ぼんやりとした境界を、(申し訳無さそうな顔をしながら)提示するのみの概念です。

そういえば素朴集合論の本には、 「集合とは、すべてのものに対して含まれるか含まれないかが明瞭に判断されうるものでなくてはいけない。 したがって大きな数の集合というものは存在しない。」という旨の記述がありました。 だからきっとこの立場からすれば夜の集合は存在しませんが、それでも!。

私は公理というものが非常に好きです。 公理は、「世界をこのように見つめたいと思う」という一種の立場表明のように感じられます。 一見すると、「はあ、そうですか」、と思ってしまいますが、そこから豊かな結果を導くことによって、人々を籠絡しようとしています。 桃を食べたが最後、恒久的に生の牢獄に捕らえられてしまうのですね💕。

でもそれなら逆に桃を食べに行きたいです。 どこを探せばいいんでしょうか。 恐らく人目につかない茂みとかがポイント高いと思うので、そういうところを狙っていくといい気がします!。 夜探してみるのもいいかもしれません。 時間によって生成確率が変わるなんてギミックがあったら恍惚です。

せっかく夜なら茂みじゃなくて、 車が平均して6.9秒に1回びゅん!って走り去るような道路に飛び出してみたいです。 車道の、横断歩道のない部分を走って横切ります。 ずっと遠くに車のヘッドライトが見えて、その時私はただのものぐさ人間でしかないけれど、こんなに悪い(Φ’ W Φ)⁻¹!。

そもそも夜の道を歩いていると(恐らく地面にめぐらされた生命エネルギーの脈から大量の活力を吸い上げて)たいそう元気になれるというのが全く非自明な話です。 気力がこんこんと湧き出てくるので、きっと私は地上を統べるものになったんだ!。 地上の王と申します。

結局のところ私が夜道を歩くのは王様がパレードをするのと同じというわけです。 でも、どうしよう!私が裸だって大声で叫ぶ子供が現れたら!。 嗚呼でもどうしよう、そもそも前提が間違っていたのかもしれません。 私は王宮をこっそり抜け出してきた王様です。 誰にも見られず、気づかれず、夜に紛れた王様です。

そうしたら王様だって私の恣なんじゃないか。 統べるを統べると申します。 略したらすべすべです。 すべKanって、Kan拡張を統べる者って意味ですからね🌟。

夜の道を歩くとすべすべになれます。いい話だね。